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『うらやましい』についてーーーもし、僕と友でいて下さるなら
すごく久しぶりにこのブログを上げることにした。


久々に来てみたら何やら呪詛のような言葉がいくつかあったので削除した。
言論弾圧か何かに思われるかもしれないけれど、あまりにも精神的な健康が危ないかなと思ったので、一方的なのは気が引けますが消すことにした。
一生黙ってろみたいな旨の発言もあったが、僕を殺して刑務所にでも入る気なんやろうか…140.pngなんとも無意味な。。。不快なら読まんかったらええだけやん。だれかを脅したりしてるわけやないんやし。

確かに過去は今よりもひどい上から目線だったこともあった。
今もそうだったら…今いる友人たちには恵まれなかっただろうな。

悪いが今も黙れない理由がある。。。





いいことの記録は今もノートにしている。この四週間はかなりイレギュラーなことがあってできなかったけれど。



今後はこのブログは、自分なりの考え、主に真面目な考えについて日本語で書くことに特化するかもしれない。今回はその『こけら落とし』だろうか。
あまりにも匿名をいいことに暴言や批判を書きまくる人が湧き続けるなら、考えるが…(他にもやることがあるからなあ…)







これはSNSからリンクしている記事なので、その方々に向けた記事を主に書いている。
今から僕が話すことは、『…げっ、これ私だ!😱と思われる方も恐らくいらっしゃるかもしれない。なのではじめに僕が申し上げるべきなのは、僕はその該当する皆さんに対して、恨みのたぐいは持っていないということ。今から書くことは、僕の内面も関係していることだから、決して皆さんが100%いけないのではない。このことはまず声を大にして申し上げたい。



(*以下、少し残酷な表現もあるのはご容赦ください)


何度かSNS上で、僕の明るくない過去について書くこともあった。なので、特に2015年まで、僕がなんとか取り戻そうとした心を更に貪り食おうゾンビ共と闘って来るしかなかったこと、心の中の僕は絶望を囁くこれらのゾンビ達とのいつまでも続く闘いで全身が真紅に染まるほどになったこと、それでも、なんとか本当の人間の真っ当さや、愛情を取り戻したいと願い続けたこと……。

しかしながら一方で、なりたくてなったわけじゃないけど、残虐な血だるま殺戮マシーンになるしかなかった僕が、果たして本当に愛され、愛する資格はあるのだろうか…次々と襲い来る虐待、侮辱、無理解の雨あられの中、僕はそんな不安と恐怖もあった。
それでも、当時からの友人や恩人たちか残してくれた言葉が、圧倒的絶望の真紅の豪雨の中で光るわずかな光だった。お陰で2次障害になったり、自傷行為 (※非常に強力なパニックで自分を叩いてしまったことは除く)をせずに生きてこれたのだと思う。





そんな僕でも、この一年数カ月は『ある言葉』を言われることが増えた。





それは、僕の心を貪り食おうとした化物たちの放つ『オマエハ……シアワセ………ナルナ…ナルナ…ナルナ………』『ノロワレテ…オカサレテ……シマエ…… シネエエェェェ…………』『コノクズ…ノロマ…ボーットシテルウスノロヤロウ!』といった声とは違う。






それは『うらやましい』という言葉だ。






なお、これは強調させて頂きたいが、この言葉を『いいね!』とほぼ同じ感覚でこの言葉を使っている方々もかなり多いと思う。この人達は、もちろん、先に挙げたゾンビ達のような悪影響を僕に与える意図はないと信じたい。

だが、僕はどうしてもこの『うらやましい』を浴びてしまうと簡単に心が潰れてしまいやすいことは、今日ここで明言することに決めた…。
信じてもらえるかは分からないが、今後僕が潰れることなく、皆さんと継続的により良い関係を作るために、今あえて『雨を降らす』ことにした。そう、『雨降って地固まる』ようになればと願いたい…。



今僕は、ストックホルムからヘルシンキを経由して、大阪に帰るところだ。無職の今のうちに、イギリス、ドイツ、デンマーク、スウェーデンを四週間、一人旅することにした。道中は大阪で繋がれた友人達との再会も果たした。新しい絆も図らずもできた。二ヶ月ほど前に30歳を迎えた僕にとって、20代の感謝の旅だ。
4週間近く欧州を旅するのはずっと夢だった。特に、今の旅行中になってからこの『うらやましい』を浴びることはやはり多くはなった。ある程度覚悟はしていたが…
(自分の今の状況を自慢するなんてとんでもない、と考えているが…万一そう思わせてしまったのなら、申し訳ないと思う)



僕自身は今の状況には過去と照らし合わせても感謝しかない。一人旅でも、独りじゃない』このことはいつも感謝してもし足りない。帰国しても、あの通勤や周りの汚い環境で(職場にはいい方々も多くいたが、環境負荷が大きすぎた)心身も感受性も継続的に汚染され続け、報酬や待遇でも報われることすらない前の職場(←最後の一年くらいは毎日、英語やドイツ語で汚い言葉を吐きながら通勤していた)ではなく、環境のいい大阪市内某所の発達障害向けのプログラミング学習所(ここの方々も僕の旅を後押ししてくださった。大感謝)に行ける。安心して望む真っ当な方向に心を育てることができる今の状況。
前の職場でもうヤバいかもしれないと言うときに、偶然目に止まったInstagramの広告が小さなきっかけで、今に至るまでの決断をしたのは確かに僕なのだが、それを後押ししてくれた数々の支え。心を食いつぶす化物から僕を開放し、僕に偽善やごまかしではなく真のぬくもりを注いでくださる人々。最高の友人たち。



もし僕が、常日頃からあからさまに周りを、例えば


彼女や奥さんがいてうらやましい
収入が高くてうらやましい
フリーランスでうらやましい
●●語が堪能でうらやましい
大きな家に住んでてうらやましい
●●に行ったことあってうらやましい


などなど……


『うらやんで』いることにはキリがない。そして、その先に本当に彼らが求めるものが手に入る確率が上がることについては、僕はとても懐疑的だ。
今例に挙げたうらやみの数々は、実際には僕の友人を少なからず汚すようなものばかりだ。僕は不器用だけど、真の友情への冒涜は、僕は間違ってもしたくない…。ずっと求めて、求めて、求めに求めてきた愛すべきものを、僕がゾンビになって喰らい潰すわけにはいかない。
自分の中にある卑しさ(今は大きく減っていてほしいが)の気持ち悪さが僕でもわかるからこそ、そんなことを思っている自分が今もいたらと思うと半端ない気持ち悪さに襲われる。






また、経験上、僕が良い方に向かっていることについて『うらやましい』という人は、日本人が圧倒的に多い気がする。お隣の韓国もこれは多い気が最近はしている。
反対に、西欧圏の人からはそれに相当することを言われたことはほぼ全くなく、あってもかなり冗談めかしたり……『うらやましい』の代わりに出てくるのは『素晴らしいね!』『ワクワクするなあ!』『ああ、良かった!』といった言葉だ。こうした言葉は、不毛の大地になってしまった僕の心を育ててくれた。
(南米圏、アフリカ圏については実感がなく不明です。すみません)

こうした『リスペクト』の部分は、今は西欧人の圧倒的勝利かもしれない。もしそうなら、ここは僕ら東洋人も変わらないといけないのではないのかな…と個人的にはすごく思う。こうした考え方も、豊かでハッピーな人生を送る秘訣ではないだろうか?



実際僕も、自分の中の人を羨んでしまう気持ちをなんとか無くしたいと葛藤してきた。かくいう僕だって羨んでしまう気持ちが湧いてしまうことがないといえば、それは嘘になるだろう。だが僕は、不器用な人間なりに、少しでもきれいな人間になりたかった…。たとえ、血まみれ地獄にいたことがあったとしても。

だからか、『リスペクト』と普段から密接に関わっているプロスポーツ選手の方々などは、東洋人でも『うらやましい』とは軽々しく言わないように思う。
また、過去に凄惨な経験を乗り越えながら、今ら人間らしい時間を取り戻しつつある人々なども、『うらやましい』は安易に言わない気がする。(この方々からは、僕も自分の中の羨みや妬みの感情を少しでも消すべく学んだことはたくさんある。感謝だ)



やはり『言魂』の力は、僕にとっては圧倒的に絶大だ。これについては僕のアスペルガー症候群の特性ーーー言葉を字義通りに、それも非常に深く受け取ってしまうーーーも深く関わっていると思われる。

この部分は残念ながら、僕の変えられないところの一つである。皆さんに負担をかけうるところで申し訳ないのだが、これを『治す』には、究極のところ、死ぬしかない。だから、『うらやましい』のシャワーには、僕は耐えられず心の苦しみが出てしまうようなのだ。


一度、海外旅行から帰ってきたときに会った人から、『うらやましい』を数時間で5〜10回くらい言われたこともあった。この人は僕の苦しんでいることにも耳を傾けてくれたこともあったのでそれは感謝しているが、それでもこのシャワーの破壊力はかなりのものだった。しかも、個人的にはこの時の『うらやましい』の一発一発は、『いいね!』とは程遠い、叩きつけるような感じもいささかあったように感じた。『お前なんかが●●行きやがって!』みたいな感じというのか…。冒頭に紹介した、『ゾンビたち』が与えてきたそれらともかなり似ているかもしれない。そのせいか、このことは去年、僕の中で最もショックだったことの一つだ。

僕はその旅のほぼ同時期に、僕の人生を最も奪ってきていた女性との対決を終え、その彼女によって大量虐殺されてしまった心(そしてこの彼女は、僕の訴えに対して更なる暴言や悪言を吐き、僕の人格否定を行った。ある意味かわいそうだとも言える)が少しずつ蘇り始めていた。殺された心を取り戻すためでもあった旅から帰ってきたが、その半月ほど後に浴びせられたこの『うらやましい』のシャワーで、時間もお金もかけた僕の旅のときめきは半分くらい死滅した。罪悪感のようなもので犯されたような感じが消えなかった……。

辛い記憶が消えにくく、フラッシュバックも多いアスペルガー症候群の僕にとって、これは精神的な拷問すら意味しうる。

正直、今回の旅から帰ったあとも、このシャワーが恐ろしい。殴りつけられ、拷問され、暴行されるような感じが…フラッシュバックで今も蘇る。

ボクハモウ ホントウハ タタカイタク ナイノニ




2 

もう一つ、このように『うらやましい』と言われることでしんどくなってしまうなのは、僕の明るくない生い立ちも関係していると思う。

ありがたいことに、一部の方々は僕が少しでも努力して身に着けよう、維持しようとしたものを認めて下さっている。そのお陰で、僕はどれだけ強くなれているだろう。救われているだろう。

僕は可能性を拷問され、虐殺され続ける世界にずっと独りでいた。
光を求めても、求めても、後ろから容赦なく僕を撃ち、地獄の闇の底へと引きずり込み、僕の可能性が破壊され続けるのを楽しむ悪魔たちの群れ。

そして、そこから脱出しようにもそのリスクがあまりにも大き過ぎる世界に、ずっといた。なんとか可能性を見つけようにも、次々と、ようやく僅かに芽生えた可能性を無残にも犯しぬかれて虐殺されつくされる、そんな世界をずっと見せられ続けてきた。たとえ、僕が過去の罪を清算しようとし、真っ当な人間の世界に向かおうとしても………。子供の頃は残念ながらそれが歪んでしまった。僕もまた害毒を与える化物だった。『弱者』をいじめる快楽を得ていた気持ち悪さの極みの生き物だった自分もいた。今は反対に、僕が心に暴魔や傲慢、歪みのある人に汚物を投げつけられるような事の方が多くなったが…(その根源となっているものとは七年前に対決した。今どれほど僕はまともな人であれているだろう?)

たとえ物質的には多少豊かに外から見えても、強制収容所のような生活を、子供の頃からずっとしてくるしかなかった歴史もある。



僕自身は『うらやましい』と言われることで、そんな恐ろしい世界に僕はまた監禁され続けないといけないのか、一生幸せになってはいけないのか?という気持ちが生まれてしまい、暗澹たる気持ちになることも頻繁にある。
そして、僕自身が愚かにも毒に染まったことがあるように、また僕が温かく純粋な心を持った人たちや、世界の美しい部分を犯す側の人間になってしまうのかと悲哀と恐怖が止まらなくなることもある。



それが一番恐ろしい。辛い。



『うらやましい』を浴びてしまうのは、僕の決して明るくはない生い立ちなど知らない方々も多いのもあるだろう。これは仕方ない。だから、最初にみなさんは悪くないと述べたのはそれもある。仕方がない。そもそも愉快な話では無いので、正直こちらも話すのにある程度は気を遣わないといけない。僕の話で、僕を信用してくださる人々を汚したくない、という葛藤もある。
(だから僕は、ポジティブシンキングは大事だと思うが、それも度が過ぎるとかえって余計に心と頭がおかしくなることもある、と思う。)

環境のせいにするな、なんて言う人もいると思うのだが、当時選ぶことなどできなかったあの窒息させられ続ける苦しみは筆舌に尽くし難い。政治犯にされてブチ込まれた、最近帰国を果たした安田さんのようなテロリストに捕まった、とかじゃないにせよ………。



それに就職においては僕は、選択肢が少なくなりがちという現実はやはりある。これは、後述する僕の発達障害と密に関わっている。プライベートもそうなのだが、この障害が意図せず与えてしまう僕の印象によって、害を与える何かと思われ、精神的な迫害を受けてしまうことも残念ながらあるのだ… 面接などで、致命傷になりうることもあり、これに悩む発達障害者は今もまだ多いだろう。幸い、最近の日本社会では人々の理解がようやく進んできたかと思うが…

そんなこともあってか、実は僕も自分の心の中に湧き出てくる人を羨んだりする気持ちをどう抑えるかは、僕もずっと腐心していた。というのも、僕はもう、僕が与えられてきた地獄の苦しみを良き人々に与える側には、なんとしてもなりたくなかったからだ。
潜在意識レベルで、卑劣で、暴力的で、侮辱的で、姑息で、虚栄心に満ちた僕の歪んだ心を治す必要があった。人から奪ったりしないで、自らの心を取り戻す必要があった。そのためには、人を『うらやましい』と思う心は、害毒にはなっても薬にはならないだろう。



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地獄の泥沼のような、人間が人間で無くなる監禁地獄のような人生をほとんどたった一人で生き延びてきて、やっと人間らしさを取り戻しつつあるのがこの2年半ほどの僕の人だ。
確実に本来の人間の世界が戻ってきている。


だからせめて、大学時代にできなかった事を今のうちに4週間くらいしていたのは、許してほしい。もう旅してしまったので、旅するんじゃねーよクソ野郎!と罵ったところで手遅れ?ではあるのだけれど…


僕をうらやましいと言った人の中には、その大学時代にそんな素晴らしい経験をできた人もいるのも知っているが、僕はそれは本当に素晴らしく、ずっとその人の宝であってほしいと願う僕は、僕のような汚泥におまみれさせられ続ける人生に人々が監禁されなくなることが幸せでもある。

そんな今の僕のもう一つの根本的な望みは、良き人々が僕の味わってきたような地獄を味わわずに済み、なおかつ幸せで温かい人生を歩むことだ。そんな人生に自分もまたともに歩むことを許してもらえるのは本当にありがたく、そして名誉なことだ。良く生きようというエネルギーも、またそこから生まれる。
(だから僕は、ネットスラングの『リア充爆発しろ』なんかもあまり好きじゃない。まさにS##Tな嫉妬だ…)






もし、これを読んでくださった方で、僕を恨まないでいてくださる方々は、これからは僕に向かっては『うらやましい』という表現は控えてくださいますとありがたく存じます。そして、こんな僕ともいつも良き時間をともに作ろうとしてくださることを、心から感謝します。

嫉妬ではなく、良き願いと共に皆様とあれますように




2018年12月10日

by sannkaku-shikaku | 2018-12-10 23:50 | 葛藤