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2009/1/31 酒は証明か その2
前日の話題、いい足りない部分があったので続きを書くことにしました。
あのままでは誤解を招いてしまう可能性があったと判断し
前日の拙記事に追加を書かせて頂こうと思います。

その際には、まずは酒の効能から。

酒は百薬の長、と言われています。
適量の酒が人々の命を強くさせることは
僕もそれなりに色んな酒を飲んできたり、本などで酒に関する情報を得たりして
その通りである、と思っています。
もう一つは、精神面の部分でしょう。

酒が、日ごろの鬱憤を晴らすための材料となることを、僕は否定していません。
アメリカでは、1920年代では禁酒法なるものがありました。
人々はその法の抜け穴を通って酒を求めたものですが・・・
この法律を『破った』人々を糾弾するつもりなどさらさらありません。

この当時の世の指導者は、確かに酒の負の側面に頭を悩ませたかもしれません。
しかし、人間とて自然の混沌より生まれしもの。
社会の多少の混沌の流れを、ある程度作っておき、
そしてその混沌が多くの人間が人間として楽しめる余地があり
それをある程度の秩序をもってコントロールできるのであれば・・・
存在してもよいものだと思います。
ルールを守り、人に迷惑をかけない飲酒も、そんな混沌の一つでしょう。

ただ、どうしても愚痴っぽくなったり、悪い酔い方をしてしまう人も
ある種の体質や気質もあるでしょう。
しかし、その人のチャイルディッシュさ(注:『子供っぽさ』とはまた違う意味です)や
単眼的すぎる物の見方、短慮さ、不寛容が
その人を悪い酔い方に走らせていることもあるのではないか、とも思うことがあります。

―――飲酒は、本当に『大人』であるための証明なのか?
それを問うために、このようなことを書かせて頂いた次第ですが
前日は少し負の側面ばかり単純に掘り下げすぎたが故に
ともすれば誤解を与えてしまったことをお詫び申し上げます。

世界、という視野で見つめて見れば
イスラム教やヒンドゥー教では禁酒が宗教戒律という
昔からの、伝統的な、そこに生きる人々の根本を成しうるものにより支えられております。
(宗派や生きる場所によっては、そこを配慮せずに酒を飲む人々も一方ではいますが)

そういう人でも、もちろん立派な人は大勢います。
人が大人たる証明に、どうして酒でなくてはならぬのか。
あまりに簡単に、単純に、早急に大人であるための定義を求めすぎることは
かえって危険をはらむものかもしれませんね。


今日の(・∀・)イイ!こと
父が美味しい寿司を買ってきてくれたこと
by sannkaku-shikaku | 2009-01-31 13:18 | 未分類
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