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2008/7/18 論述試験とブログと、日本語を使う者
明日も明日とて試験。
とはいえ、今日はお休み。
今年1月、1回生秋学期試験は、1日1科目で5日間とかいうのがあったので
あまりお休み感は無かったのですが
2回生春学期試験の今、また休みながらテスト受けてて
去年みたいにバカンスバカンスしながらテストを受けてるような変な感じです。

中学・高校時代が過去になっていくとはいえ、やはり奇妙な感覚です。
というのも、僕も答えのパターンが一つだったり
そういう『勉強』ばかりしている環境に長らくいたからなのかなとも思います。

大学の論述試験というのは、用語・要素の説明も勿論あるのですが
基本的な原理を了解した上で、己の考えも織り交ぜて書くということもあります。
この考えを解答用紙に添付する上では、自分なりの発想という能動的な姿勢が必要。
政治学を学んでいる身なので、少々カタいものも時折あるのですが
受動的な高校の試験と違って、自分から作っていくような試験というのは新鮮。
そして題材によっては非常に面白くて、時間ぎりぎりまで沢山書いてしまうことも(爆)

Blogなら、執筆している僕、さんかくにとっては
もっと僕は能動的に書いていることになりますね。
何故なら、ありとあらゆるテーマが土台にできるからです(´∀`)b
政治のお話のみならず(これも、話によってはカタくないと思うんだけどなぁ)
ゲーム、グルメ、旅行、人生観、心、イベント、何でもござれ。

とはいえ、このBlogは解答用紙とは勿論違います。

解答用紙は、論述のベースは教授によって与えられ
己の考えを発する機会があっても、その対象は教授にほぼ100%限定されます。
そのための文章を書くとなると、『だ/である』という断定的な形の文が基本になります。

Blogだと、自分自身の日記としての側面も勿論あるのですが
やはり、不特定多数の方々に発するもの。
そしてBlogの素であるインターネットは、双方向的なものです。

双方向であるが故に、たくさんの人々がいて、その人ごとの発想がある。
そしてそれが相互に発信されます。その発信は、多くの革命を生みました(例:Youtube)
それらの発想を殺さないように、『我こそ正義だ』というニュアンスを与えすぎないよう
『だ/である』は使いすぎに注意が必要であるように思います。

そこで僕がよく使うのは『~と思う』『~であろう』、そして状況に応じて丁寧語を付けます。
ヘタな断定は、読まれた方を視野狭窄や閉塞感に追い込むことになりかねません。
(評論等の一般書籍を非難している訳ではありません。あれはあれでよく出来ています)
そもそも、このBlogからすれば趣旨からズレまくりで自滅してるわけになります。
これは、最近特に意識し出したことなのですが
もしも過去の記事で閉塞的に感じたものがありましたら申し訳ございません・・・

セリフ化するなら、僕が記事書いててベースにしてる発想はこんな感じです↓

『65億の人間がいて、そのうちの一人の私が日本語を操ってこんなことを考えてみました
私のスタンスはこの通りです。ですが、このスタンスであなたを塗り潰そうとは思いません
あなたの考えがあるならそれが余程有害で排他的なもの(例:ナチズム)でない限り
差別や冷遇、非難を浴びせたりはしません
ただし、弁論をするなら一つの道のみしか見えていない、視野狭窄な発想はご勘弁。』

あくまでも、『提案』『意見』としての形を持ちつつ、『強制』『思想改変』とならないように。
そして、ネガティブさ故に思考停止してしまい
提案する場でダメだダメだと否定ばかりして建設的な発想を奪う行動をしないこと。
(当たり前のようですが、叱る場でダメだというのは勿論結構です。)

『言霊』という発想が日本にはあります。
日本語の場合は、語尾の一つとっても著しくそれが変わるので、気をつけたいところ。
そして、その言霊で、どうせならより良いものを考えたり生み出したり
より人々と前進し、愉しい人生を歩めるものであれば、と思います。


今日の(・∀・)イイ!こと
待っていたインターナショナルキャッシュカードが届いたこと
by sannkaku-shikaku | 2008-07-18 21:34 | 未分類
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