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2008/5/16 双方を愛し調和を保たんとす
僕の友人の一人が、今年の9月にアメリカに留学する。
彼は理系から文系に移るに辺り、二浪という期間を得ながら大学に入った
苦労人のような所がある。
その時培われたハングリー精神のためか、現在もかなりの勢いでバイトをし
英語の語彙力もかなり延ばしている。
将来10年、20年の目標もかなり具体的に見据えている。
それでいてちょっと変わり者な僕とも楽しく会話をしてくれる男なのだ。

僕としては、彼の目標である留学の第一歩が打ち立てられたのは祝福できることだ。
しかし、一方で心に引っかかることもある。
嫉妬や羨望ではなく、それは彼が発したある言葉。

ある日、彼にノートを見せてもらう機会があった。
その際に、漢字の間違いがかなりたくさんあったので僭越ながら少々指摘させて頂いた。
しかし彼は、間違った漢字を直す代わりに静かにこう言い放った。

『俺はアメリカでグリーンカード(米国永住権を示すカード)を取ってアメリカに住むから
日本語は別にできなくてもええねん』

・・・僕は外国文化も外国人も英語も好きだが、この発言は衝撃的過ぎた。
何故か、一言で言ってしまえば自国の文化も人も言語も好きだからだと思う。
一言で言えば『パトリオット』とか『愛国心』と言ったところかもしれない。

また、外国語を学んだからこそ、その国の言葉、そして自国の言葉の
良い部分や面白い部分、そして長らく使われた言葉に含まれた機知や歴史に
気づくこともできた。

あまりにも外国に傾倒しすぎる余り、せっかく平和な中この国に生まれ育ったのに
こうも簡単に母国の要素を捨ててしまうのは、どうしても懸念を覚えてしまう。

今日はたまたま、日本の文化に関して英語でイギリスの方とお話した。
偶然にもこちらから少々日本語を教えさせて頂く場面もあった。
(日本語・英語・ドイツ語の知識をフル活用していました)

なんといってもお互いにすごく楽しかった。
このような貴重で美しく、思い出に残る文化交流の場を
お金もほぼ全くかけずに作れる魔力というものは
まさに、自他共の文化を知ろうとし、そして『どちらも』愛しているから発生するのだと思う。
そしてこの『自他共に知る』精神こそが
もしも『国際人』というものになるなら、必要なのではないだろうかと考える。
その為にも、色んな角度から柔軟にものを見て考えることは、とても大事だと思う。

自国に傾倒しすぎる余り右翼になるのもまっぴら御免だが
外国に傾倒しすぎて自国をいとも簡単に捨て去ってしまうのも勿体無い気がする。
そして、その場合はひとつの視点に凝り固まっている場合がとても多いように思われる。
(たとえば反日中国人の場合は『半日思想』『中華思想』に凝り固まっている。
また、柔軟に考えるように育つ機会を与えられていないことも多大な影響を与えていよう)

こういうのもお互い知ってるからこそ調和が取れる視点に立てるし・・・
何といっても互いを知り、好きになる会話って楽しいよ!!


今日の(・∀・)イイ!こと
学校以外で初めてドイツ語の会話(初歩)をしたこと
by sannkaku-shikaku | 2008-05-17 01:06 | 未分類
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