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2016/7/28~31 旅計画の過程、向き合ったもの
※この記事には、残酷な内容が若干含まれています。
 苦手な方は、ご注意ください。




ふう、こんだけ長い文章をこのブログで書くのも久しぶり042.gif


現在27才…
4半世紀を生きた、25才以内、
特に大学の卒業旅行も含めて20~25才で
ずっと人生で一度は行っておきたいと思った場所で、
以下の通り行けた場所があります。


★ジャカルタ、スラバヤ、
 特にWWⅡ後の独立戦争の史跡(インドネシア、2011年)
★クチ・ベトナム戦争の遺構(2011年)
★ニューヨーク(2013年)
★烏山頭ダム(台湾、2013年)
★ノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチ(フランス、2014年)
★東日本大震災の復興がまだ進んでいなかったエリア



戦争に関わるスポット(太字)が多いことに
お気づきの読者の方も多いかもしれません。
自分の人生の哲学といいますか、
今日本にいて、何となく日々享受させて頂いている平和というもの、
その価値を考え直す意味で、これらの場所に行っておかなくては…と
ずっと思っていました。

それに、こうした場所は望まずして凄まじい苦しみを浴びることになった
人々が関わっている場所もほとんどで、
ヘラヘラ笑って観光する場所とはまた勝手が違います。
もちろん、楽しんでいいスペースもいくつかありますし
実際そのように整備されている場所もあるのですが
そういう所では一層平和や共存共栄の価値を噛みしめるようにしています。

例えばノルマンディーに行ったときは、英語のツアーだったもので、
ほとんどがアメリカやオーストラリアから来た方でした。
日本人、というかアジア人はツアーで僕一人。
それでも70何年前のように、『鬼畜米英!』『Yellow Jap!!』と
お互い罵り合って殺しあったりするのではなく、
共においしいフランスワインや料理を囲んで談笑できる、
その喜びを、現地の博物館に併設されたレストランで噛みしめました016.gif
向こうの人も、日本人と聞いてイヤな顔をする人はいませんでした。


学生時代(2007~11年)に行っておければベストだったかなあと思いつつも
残念ながらその時代の僕は、その場所を訪れるのに十分なほど
健全な精神状態、精神レベルでは無かったと思います。

かといってその行ったときで本当にそこまでの人間的な器量に
達してたんかいな?というと……
はっきりYESとは言えませんが、でもまあそこそこ達してたかなあとは
思えるから良しとするか…といったところです。
完璧を追及するとキリがないですし、
そこまで追及すると結局死ぬまで行けなかったと思うので(´・ω・)



さてそうした戦争関連も含めて、ここ最近の旅計画で
ここは30歳になるまで(2017年から~18年の9月まで)に
行っておきたい…と思っているところは以下で、
これまた、戦争の悲惨な爪痕に関わるスポットもあります。


★北欧。特にストックホルム(スウェーデン)。
★ベルリン(ドイツ)
★アウシュビッツ強制収容所跡(ポーランド・クラクフ郊外)
 ⇒高校時代の知己もここは30歳までに行っておきたいと言っていました
★ダッハウ強制収容所跡(ドイツ・ミュンヘン郊外)
 ⇒ナチスが最初に作った強制収容所だそうです。
  米軍の解放後、皮肉にもここで処刑されたドイツ軍人もいたそうで…
★キリング・フィールド(カンボジア・プノンペン郊外)


戦争の爪痕、特に強制収監の果てに虐殺された方々のいた場所が
多くなっております。


30日の夜、実はキリング・フィールドのことを調べ始めたのをきっかけに
時のカンボジアの狂気の指導者、ポル・ポトに関する記述などを
夜中にちょっと見るつもりが、かなりじっくり読んでしまいました。
虐殺の話や、そのやり方などについてはある程度は知っていたのですが
より詳細な情報を知ることになりました。

関連記事で、上に挙げたダッハウ収容所などの記事もみましたが、
この収容所は、いわゆる『狂気の人体実験』が数多く行われており、
被験者の方々の痛みは、もはや想像を絶するものです。
人によっては、Wikipediaに書かれている内容を読んでいるだけで
めまいがするような人もいるかもしれない…そんなレベルでした。
(実際、非人道的なことまでして追い求めた結果は、
 本当に人を救えるのかどうかも、疑わしいところです)

障害者も収容されて、殺害されていたわけですから、
僕自身にとっても他人事ではありません。
特に、『アスペルガー症候群』という概念が発見されたのは、
1944年、ナチ占領下のオーストリアでした。
もしナチスがいなければ、自閉症以外の発達障害の支援も、
もっと早く進んでいたかもしれない、という思いはずっとあります。

そして、誤解を恐れずに申しますと、僕の持つ障害も、
支援などを受けず、悪い方向に傾けば、
実はヒトラー的な側面が出ないとも限らない部分も、実はあります。
『発達障碍者は虐待の被害者にもなりやすいが、
 一歩誤れば加害者にもなりやすい』
というのが、僕の持論です。
でも、それを知るからこそ、僕らが加害者になることを
避ける方法を模索していくこともできます。
万一誰かを傷つけてしまっても、できるだけ早く、
本当の意味でリカバリしたり、ダメージを減らしたりすることも……
こうした暗黒の事実と向き合うことで、
"光"への道を模索できることも少なくありません。


そうした記事を読んだせいか、
31日は梅田界隈を歩き回っていたのですが、
どことなく心が落ち着かない状態が続いていました。
ああ、昨日読んだ記事のせいだな…


カンボジア関係ではこんなの読んでました↓

ポル・ポトが進めたという『原始共産主義』的な政策。
学問や科学などを否定……
今ある文明がもしそうなったら、
今僕が聞いている音楽も、このブログを書くのに使ってるパソコンも、
その他もろもろ、人とつながり、健全な心を育む上で
役に立っているものに支えられての豊かな生活。

そして、僕の今の友人たちでも、
学問の世界に関わっている聡明な友人たちもたくさんいます。
そうして友人たちに信用して頂けることのありがたいこと。
実際に、彼らから受けるいい刺激もたくさんあります。

しかし、そんな彼らもまた
もし世界が全部クメール・ルージュに乗っ取られたらば
真っ先に粛清―――という名の虐殺の矛先に晒されることでしょう。
メガネをかけていた、美男美女だった、という理由だけで
殺された人もいたといいますから…
(メガネなら僕も当てはまってますね)

ほぼ全ての国民を農業に従事させる、といっても
学問や科学などを否定するわけですから
おそらく、トラクターなどを使うことも許されなかったでしょう。
何かと問題になる農薬なども、もちろん…
その結果、穀物増産どころか、餓死者が続出したそうです。

カンボジアはカンボジアだけで革命を達成しなければならない…
という観点もあったそうで、
この辺りは、病みに病んだ挙句、自分を認めず、孤軍奮闘して、
自爆していく一部の精神障碍者の人ともよく似ているように感じます。


昔の自分にも、それと似たようなところがありました。
ナチスとか、そういう話をちょっとは知っていたから
ぎりぎりの所で完全に壊れずに済んでいたのだろうか。
でも本当は、自分のありのままの弱っちいところ、汚いところ、
それを見せることを 異 常 な ま で に 僕は恐れていただけ。
全体主義は、そんな、人の心を引きこもらせるという
悪の誘惑を助長させているような気がしなくもない。
共産主義のエッセンス全てを否定するわけじゃないが、
本当に、病んだ人の人間のメンタリティそっくりだ。
世界を破壊することしかできなくなった人間の、それと。

でも、恐怖を超えて見せるものを見せたら、
心ある人は手を差し伸べてくれるものです。
自分が自分と向き合うほんの少しの勇気、
特別なことをしなくても、びた一文払わなくても
得られるほんの少しの勇気。
それがあったら、ポル・ポトもヒトラーも違ったのやろか。


俺はまだ、人類とその社会に完全に絶望していない。
多くの良き人たちは絶対に裏切りたくないから。
これは義務じゃなく、意思です。


話が個人的な内容に一旦それますが、
2013年4月ごろ、このブログにも書いたことがある、
2013年3月31日に再会した、ある人間の残した、
『仕事なんて頭で考えてやったらあかんやんなぁ!!』という
愚劣極まりない発言を思い出したのでした。
行きつく先は、このポル・ポトがやった、
学問や科学を否定してむちゃくちゃやることと
すごく近いんじゃないだろうか、結局同じベクトルちゃうやろか、と
ふと思い出さざるを得ませんでした。

その瞬間に僕が『俺は事前に考えてやった方がうまくいくけどな』
と言ったら、慌てふためいたような口調で
『うんいやまあそうやけどぉ!!』と返してきたのも
テープレコーダーのようにくっきりと覚えています。
『おまえは脳筋や!脳筋になるなぁ!』などと
半ば暴言に近い発言を、その子のメンタリティに半ばつけこんで
言い続けてきたのも僕は忘れていないし、忘れないでしょう。
彼を恨み続けるつもりはありませんが…いい言葉ではありませんね。

その発言をした場所もほぼぴったり覚えているほどです。
傲慢で上から目線の態度ばかり撒き散らしていた哀れな彼ですが
本当な健全な自信なんてかけらもないんでしょうね。
今もまだ『地獄』にいるのでしょうか。
自分と向き合っていないなら、そうかもしれない…半分自業自得ですが。


虐殺やもろもろの悲惨極まりない政策についてだけじゃなく
色々な歴史の転換点などについての記事も読みました。
隣国のベトナムが、ちょうどベトナム戦争が終わって間もなくて、
カンボジアから逃げてきた人たちで組織された部隊の人と一緒に
クメール・ルージュの軍隊をあっという間に粉砕した話とか…。
狂ったイデオロギーの尖兵にされた挙句、
敵が攻めてきて死んでいったクメール・ルージュの兵士たちは
最期に何を思ったのであろうか…。



数年前の僕なら、こうした記事を読んだら
あまりの残虐さやひどさに、
くそったれふざけんなよこのゴミクズ野郎!!
 永遠に地獄で呪われてろよF**kyouF**kyouF**kyou!!!!!!084.gif074.gif022.gif
とか夜中にもかかわらず叫んでいたかもしれませんね…(;´Д`)
たぶん自分も、そのポル・ポトやヒトラー、スターリン、毛沢東みたいに
ならないか怖くなって、そうなるまいと必死こいて叫ぶみたいに
なってた可能性はすごく高いと思います。

今の心理状態であれば、そこまで闘わんでも
自然と境界線が引けるといいますか。
この辺りは、去年末から今年にかけて、
自分が仲間と信じていた一部の人間が
実は自分の心の根源をかなり残虐非道に汚染していたということが
分かってきて対策を練っているのも大きいと思います。


今、ちょうどいい具合で、
世界に残る虐殺の爪痕とも
向き合うべき時が近づいてきた、ということでしょうか。
自分にも置き換えられるこうした場所を見ることは、
同じように非常につらい個人的葛藤を抱えてきた人たち、
人の悩みを知り、建設的なブレイクスルーを作る上で
大きなヒントになることもたくさんあります。

先のクメール・ルージュの魔の手から逃げてベトナムにいて
軍事組織を作ってベトナム軍から訓練を受けていた人たちも、
ナチスの時代は、ゲリラ組織『マキ』を作った、フランスの人たちも
心の中に襲い掛かってくる"悪の軍団"といいますか、
そうしたものに負けないバイタリティを保つにもなります。
一時、僕の頭の中でヘビロテしていたのが、
フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』だった時期が
2013~15年にもありました。



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…とはいえ、世界中心をときめかせる美しいものはたくさんあります。
今、ありがたいことに、
日本を訪れてときめいてくれる外国の方々がいらっしゃるように。

同じように美しいものが、
カンボジア、そしてポーランドにもたくさんあるでしょう。
実際に行ってみて初めてそれに気づくこともあります。
今ある繁栄と平和の上に築かれた美しい文化の数々を
味合わせて頂くこともとても大切なことですし、
まあそんなオカタいことは抜きにして、とても楽しいです( ´w`)


戦争以外のスポット、北欧に関しては、
学生時代からなんとなく行ってみたい場所の一つではありました。
(旅行においては、結構学割が盛んなエリアのようです。
 もし当時行ってたら、円高も相まってお得だったかな?
 でも燃油サーチャージがすごい高い時期もあったなあ)

特にストックホルムは
昨今はアヴィーチーの出身地ということもあり
(最近EDM関連で人気の方といえば、アレッソの出身地でもあります)
そういう意味でも個人的にホットな場所になっています。
アヴィーチーの曲でも望郷の念を歌ったような曲がありますね↓
そういえばそのアヴィーチーも、今年は初めて来日し、
Fall in loveしてしまったそうですが…笑
来月で彼も、アヴィーチーとしてのキャリアは一旦終わるそうなので
また個人としてゆっくり日本を満喫する時があればなあ、と思います。
(ライブの時、最後に感動のあまりか言葉に詰まったのを思い出すな)

ベルリンは…実はドイツ語を勉強している僕も
ドイツにはまだ一度も行ったことがありません。
スイス、オーストリアなどを含むドイツ語圏の国もなし。
ここも、大戦終結間際に戦争で破壊された建物などが
今でも一部残っているそうですが…
ビールや美術館などなど、いろいろ見るべきところもありそうで
楽しみもたくさんあります。
近隣都市では、ポツダムなどがすぐそばで
そこもベルリン滞在中に足を延ばして行ってみたいですね。

また、ドイツは地方都市の魅力が本当に多い国だと聞きましたが
実際見てたらそんな街がたくさん出てきました。
最近知り合ったドイツの方が、ハイデルベルクの方だったので
調べてみたら、これがまた緑いっぱいの美しい場所です。
フランクフルトからもバスや電車で1時間程度の場所なのか…ふむ

なんとなく自分はドイツ、ポーランド、北欧など
少し寒い国、ゲルマン系・スラブ系の国は
合うような気がするのですが、それを確かめたいのもあります。
最近ポーランド人の友人ができたのですが、
そう思うことがしばしばあります。



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旅にでるなら、これは国内旅行でも海外旅行でも同じなのですが
今ある平和と繁栄に感謝すること、
そして旅行に行くためにお金を貯められるほどの
仕事、サポートや理解、帰れる場所がまずはあるということ、
これだけは忘れないようにしておきたいものです。

仕事、とありますが、ここはすごく大事です。
僕らにとっては非日常の旅行でも、
それもたくさんの人の日常=仕事の部分によって支えられていますし、
旅が終わってさあ日常に戻ろうって時に、
仕事があまりにきつすぎたり、職場が酷い状態だったりすると、
せっかくの旅の質もやはり落ちてしまいます。
そこの日常の維持には、僕の場合はクリニックや支援機関など、
そうした部分のテコ入れもかなり大きく作用していると感じています。

最後になるけど、ヒトラーやポル・ポトも、
それに従わされてきた人々も、
たくさんの人の命を奪わずに済むような
他にとれる道もあったのかな。048.gif057.gif

今日の31日、大阪駅周辺の雑踏をちょっとそれてみて、
南東、プノンペンの方を向きつつ祈りをささげた昼下がり…。


7月28日 今日のいいこと:
ニュージーランド航空が今年11月4日に
関空との直行便を再開するというニュースを見たこと。
現地に住んでいる友人もいるので、朗報!

7月29日 今日のいいこと:
久々に4年ほど前(小豆島にいた頃)やっていた英語のゲームを
再開してみたらその時は聞けなかった英語が
思いのほかスラスラと聞き取れたこと

7月30日 今日のいいこと:
気になっていたビアバーに一人突撃してみたら
想像以上に素晴らしい空間だったこと

7月31日 今日のいいこと:
ヨドバシカメラのポイントがたまたま残っていて
欲しかった文房具をたったの5円で揃えられたこと

by sannkaku-shikaku | 2016-07-31 22:06 | 葛藤
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