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2013/4/4 カミングアウト、裏の効果
今日は「だ・である」調で書きますm(_)m


僕はこのブログでも、自分の発達障害のカミングアウトを
思いっきりオープン(?)にし、自分の特性がどういうものか、
だからどういう行動をとって、良い方向に結び付けていくかを
結構書き込んでいるな、とは思うし
その結果、本当に良い、これから一生大切にしたい
人々との絆が改めて生まれ、育ってきたわけだが……

実は僕の障害のカミングアウトには、もう一つ重要な役割がある。
それは、相手の器を見たり、付き合うに値する人間か見ること。

ただ、付き合うに値する人間とはどういう人かというと
『普通に、安心して付き合えること』
『最低限のルール・マナーを守る、もしくは守ろうと努力すること』
である。

で、やっぱりこの当たり前のような2つが実践できる人は
人間として当たり前の、倫理観や優しさ、謙虚さを持ってる人がほとんど。
僕も追い求めたいし、実践し続けたいことをできる彼彼女らは
僕にとっては、大切な友人であり、人生の師でもある。

そして、そんな人たちは
僕らのような人間に、彼らの『普通』を押し付けるようなことはしない。
理屈っぽくこまごましたものをもって、僕らに迫るようなことをしない。
居丈高になって、理屈の上では正しいかもしれないことを
武器をちらつかせるように見せつけてくることもしない。

そのようなことを無闇にしたって、自分も相手も幸せにならないし
その無意味さもよく知っている。脳だけではなく、心でも。

僕が、僕のペースで歩くことを認めてくれているし
僕の悪い所ではなく、良い所を見つけて寄り添ってくれる人。
そういう人たちのために僕もゆっくりでも頑張りたいと思えるし
その頑張りは強迫観念に満ちたものでは無く、
生きる希望にあふれた自律的な、きらきら輝くものである。

今は、そんな彼彼女らと一緒にいられるし、
そして、彼彼女ら昔よりもずっと高い次元での、深い幸せと安心感を
去年あたりからようやく感じられるようになってきた。
『俺、少しはまともな人間になれているのかも』という確信が

今の自分の生活に、とても素晴らしい影響を与えています。



一方、過去において、僕の人生を汚し、犯してきたものたちの存在も
より鮮明になってきているこのごろでもある。
それは僕にレッテルを張り、危険物のように扱いコントロールしようとし、
僕のため僕のためと言いながら自分の快感を満たすことしか頭に無い言葉と行動。

しかし、僕が再び汚されることを許すということは
僕と同じような宿命を持った人たちが、
うつむいて抑うつと哀しみに満ちた人生を歩むことを許すことになるし
その周りの人たちまで哀しみ、おかしくなることを許すことである。

僕だって汚したくない大切な人たちがいる。それも両手で数えきれないくらい。
再び僕が、彼彼女ら汚されないようにするために、僕の心の中で
幾度が、僕の心の中で闘いがあったのもまた事実。

僕らは、健常者の『常識』や『ペース』を求められると
それはそれはすさまじい勢いで瓦解していくことも多い。
末に待っているのは、精神障害、うつ、果ては自傷行為といった破滅の未来…。
そのようなことも、ありうるのだ。
そして、そのようなことを、起こすわけにはいかない。



今日、こんなことを書いたのは
実はここ2週間、僕の仕事が忙しい時期を過ぎたころに
1年半ほど連絡をとっていなかった『友人』2組から連絡がきた。
僕の精神状態が特に不安定だった時期に巡り合った『友人』で
一人は中学時代、もう一人は僕が新卒で会社に入った頃の『友人』。

そして、彼らにもカミングアウトしてきたのだが……。

その結果は、『凶』だったようなのだ。
かつて自分が友と信じていたものが
今なおどれだけ有害なものとなっているか、分かってしまった。
彼らが、僕に人生を明け渡すように恫喝する
テロリストのような集団と同種に見えてしまった。
今だから見えてしまった、カミングアウトのもう一つの効果。

再び己の中の闇にケリをつけるべき日が、
己の『正しい』決断を迫られる審判の日が
散りゆく桜と共にやってきているのか。

でも、僕はもう絶望の花びらを散らすわけにはいかない。
その先に希望の花を咲かす権利は、僕にもある。全ての人にある。
僕は、希望の花を咲かす道に挑みたい。


今日の(・∀・)イイ!こと
久々に食べたかったものをしっかり堪能できたこと
by sannkaku-shikaku | 2013-04-06 13:24 | 発達障害
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