2012/8/14 発達障害的オーバーキル
『正直怖い…恐ろしいよ。
 ただし、威力の無さが ではない。
 そのあまりの破壊力が、だ…!!』
(『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』:ロン・ベルク)

『俺はロシアの兵士だ。無実の命を奪えるはずがない…。』
(『コール・オブ・デューティ モダン・ウォーフェア3』:ユーリ)


人間が一番犯してはならない愚の一つは、
向けてはいけない銃口を、向けてはいけない相手に向け、撃つことだと思う。
……それは、僕が人一倍犯してきた過ちでもあります。

自分のことが分からず、コンプレックスを溜めに溜めて、
孤軍奮闘ばかりしては失敗し、自分を呪い続けていた自分が
よく犯していた過ちです。

冒頭に書いたヒーロー達の言葉は、
そんな自分に対し、今一度同じ過ちを繰り返さないよう戒めるときに
常日頃からよく思い浮かべる言葉です。


しかし、なぜ向けてはいけない銃口を向けてはいけない相手に
向けてしまったのだろうか…?

その原因の一つは、自分の発達障害にもあると思います。


発達障害の特性の一つに『思い込みをしやすい』という側面があります。
また、普段から抑うつやストレスを溜め込んでいる場合は、
そこから、『白か黒かでないといけない』といった、
極端なものの見方に走りやすい傾向もあります。
前述の、ストレス溜めまくってた僕も、そうなっていたでしょう。
人生経験の浅かった幼少期も、とりわけその傾向がヒドかった。

今でも、白か黒かのものの見方しかできていなかった
子供時代のおぞましく、哀しい記憶が頭に残っています……。
そのために、どれだけの人が、
それも自分と同じくらいか、目下の人間が、
不快な思いをしたり、傷ついたりしてきたのだ…?

『自分が正しい!』と思い込み、行動したものの、
自分も相手もボロボロになって、結局何も救われない。
例えるなら、飛行機がハイジャックされて、
特殊部隊がテロリストを射殺したものの、
その特殊部隊がめちゃくちゃに銃を撃って民間人まで死傷者が出た……
そんな愚かで嘆かわしい状況でしょうか。


昨日、つい先日まで友人だったはずの発達障害の人間が、
あることをきっかけに、一気に鬼のような人間になり、僕を攻撃してきました。
言葉を真に受けてしまう自分は、耐えられませんでした…。
今朝、目が覚めた時に、お腹の調子がメチャクチャ悪くなりました。

元々、生い立ちや両親のせいか少し粗暴な所があるように感じていましたが
いい年してこのような『虐殺』すら平気で行う人間と知ったことがショックでした。
僕はそんな『番長モドキ』を尊敬できるほどの仏の心の持ち主ではないのです…。

夕方にこの件については、専門家であるカウンセラーさんを頼り、
少しは精神が良い方向に向かいました。
ただ、この『虐殺』された僕の心の回復には、もう少し時間が必要です。
(僕と似たようなタイプの、別の発達障害者の友人が
 この人のことを『駄々っ子だ』と評していたが、それが証明されたようだ)

必要以上に相手を深く、深く傷つけてしまう……。
発達障害者は、自分のことを理解し、注視していなければ
このような被害を及ぼすこともありうるのです。


僕自身、自分の中で反社会的で残酷な部分はあるのは承知しています。

ドン引きされる覚悟で書きますと……
これまで自分たちを汚そうとしてきた卑怯者や凡愚共を殺すとなると
躊躇無く、そしてあえて楽に死なせず残酷な方法で殺して
カタルシスに浸るだろうな……ウヒヒヒヒ。などと考えることもあります。

だが、秋葉原無差別殺人事件(※犯人に発達障害の疑いがある)のように、
無差別にだれかれ構わず殺す、ましてや自分の友人、知人、恩人など
無辜の民どころか、目立たなくても、社会に、周りに役立っている人も殺すなど
僕は絶対にイヤ。
それがたとえ、今日本と外交的に問題のある国の人々であっても。


僕は今年も、銃―――強烈な言葉をぶっ放すことがありました。
しかしその相手は、自分とその良心、そして
僕をそんな真っ当な人間として見てくれた大切な人達をも
僕を介して汚しうるような存在に対してしか、向けていません。


本当は、『銃』なんて使わないほうがいいに決まっています。
自分の障害のダークサイドを知れば、なおさらそう思います。
僕の望みは、自分の障害をカミングアウトした上で、
人々と手を取り合い、共に幸せに生きるために動くこと。
そのために、常に銃を持ち続け、撃ち続ける必要なんて無いのですから。

ただ、そのように僕が今思えるのは、
僕の障害を分かって上で僕を一人の人間として見て下さる人達との
あたたかい絆が何個も、何十個もあってこそです。
コミュニケーション上で障害を抱え、嫌われ者になりやすいという
発達障害者である自分にとっては、奇跡のような話かもしれません。
ですが、助け合い、障害者自身も諦めずに自己修養に努めれば
健全な倫理観を持ち、その障害のダークサイドに呑まれない人生を歩めると思います。

先の、僕に攻撃してきた人にはそれが無かった。

うまくいかないことに目がいきがちで、普段から自分を責めるような言葉も多い。
だが、行き過ぎた自罰は、他者へと波及する。
自分自身も社会の構成員である以上、自分を呪い続けることは
結局は他人を、社会を、未来を、希望を呪い続けることと同じになってしまうのだ。

ある意味ではこの人も、『哀れな犠牲者』ともいえると思います。
むしろ、僕のような暖かい絆を育むための、自分の心を育てるチャンスに
恵まれなかった、可哀相な生い立ちを歩んできたと言うべきか…。

でも、いくら支援があるにしても、このような哀しい輪廻を変えるのも
結局は自分自身にかかっている、と思います。

アナタハ ドウシタイノ? ドウイキタイノ…?


今日の(・∀・)イイ!こと
自分に会いたいと言ってくれる人がいるのは嬉しいですね
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by sannkaku-shikaku | 2012-08-15 19:25 | 発達障害 | Comments(0)
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