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2007/8/31 褒めること
今日マイMixiに登録してくださった方が
子供を褒めること、について日記を書いていらしたので
自身の経験ももとにして関連した記事を書いてみようと思います。

子供は褒められるとどんどん伸びる―――
それは子供は褒められることが大好きだから、だと思います。
ああ、褒められた、また褒められたいから頑張ろう
と、一身に努力していくもの。
素直に褒められた事を受け止めて、活力にしていくのです。
僕自身も褒められるの大好きっ子でした(爆)

しかし、逆に言えば「褒める」行為と逆の言葉も素直に受け止めるのです。
悪いことをしたら叱る」のは大人としての責任ですが
悪い点・短所を叱る」大人はどうか・・・と僕は思います。
例えば子供がテストで自分のベストを尽くして最高点数を出したとします。
惜しくも後一つの問題を落としてしまいましたが
子供にとっては一つの偉業なのです。
「パパ、ママ!僕テストで初めてこんな点とれたよ!」
そこであなたはどうしますか?
子供の偉業を褒めてあげますか?
子供が一つ間違えた所を叱りますか?

前者は子供のやる気を喚起させ
長期的に見たら次には百点をとる契機になるかもしれません。
もしかしたらより後の成績・進学のよさにも関わってくるかもしれません。
(勿論成績、進学の良い子供=必ず良い大人になる、という短絡的な考えを
しているわけではありません。念のため。)
褒め方の次第にもよりますが、子供に更なる力を与えるでしょう。

しかし、後者の反応はどうでしょうか。
自身は頑張っても、個人のプライドは崩れるばかりか
これは子供が未来へ羽ばたく翼をももぎ取る恐ろしい行為なのではないか。
小さい子供であればあるほど、これは大きな脅威となると思います。

僕は中学くらいの頃に、母にテストで頑張っても悪いところばかり叩かれ
それが哀しくて哀しくて当時の担任の先生に漏らした事がありました。
それを聞きつけた母はヒステリー起こしました。
自分が絶対正しいと思い込む性分の恐ろしさ―――
そしてそれを分かっているふりをしてしまう恐ろしさ―――
それとも自分のやってきた「汚点」がバレて恥ずかしかったのか。
体面ばかり気遣って内面のケガレを見つめるのを忘れたか。
僕にもその遺伝子が流れていてそういう行動も何度となくとってきた。
今もしているかもしれない。気づかぬうちに・・・

少々話題がずれたことをお詫び申し上げます。
僕の場合はある程度大きかったのと、他に素晴らしい大人たちがいらしたので、
幸い、何とかクサることなくここまで来れました。奇跡と出会いに、感謝。
しかし、心に大きな傷が出来ていることは今でも時折感じることがあります。
親だから、というのが大きな要因だったと思います。
自分を生み出した人にアイデンティティを否定される、と言うと大袈裟か・・・?
とはいえ傷があることばかりに嘆いているわけにはいきません。それは甘えだろう。
この負の連鎖を断ち切るためにも、僕は負けてはいられない。
おまえが植えつけたこの闇は、必ず打ち倒してやる。

問題は、僕のようにトラウマへの闘争心をなくしてしまった人達と考える。
闘争、と言わずともそれを処理する力も失ってしまった人達。
そういう人がグレたり、所謂「ネクラ」になったりするのではないでしょうか。
どれだけ努力しても、欠点を探されて全てを否定されてしまう。その結果芽生えるのは
自分は努力しても認められない、必要とされないという気持ち。
暗く、寂しい、暗黒。

今の人々の心が荒んでいるのは
悪いところばかり見つけてそれをけなしてばかりいて
その結果みんな心を傷つけて崩壊させてしまったからかもしれません。

悪いところばっかり見てたり文句ばっかり言ってると
人を不幸にするだけでなく、きっと自分も不幸になるでしょう。
冷静にものを見つめれば、どんなものだって長所短所があるでしょう。
しかし短所ばかりに目をつけてそればっかりについて言うのは
もはや時代遅れなのだということを感じずにおれません。

悪しき言霊の犠牲になってしまった人たちよ、どうか諦めないで。
あなたに「信念」があり、良く生きるための「熱意」があり
短所ばかり突付いて人を傷つけることが生み出す闇に対して取り組むなら
もっと世界は花開く、と僕は考える。

人も物も長所、見つけてみようじゃないか。
それをもっと素直に賛美しようじゃないか。

↓こんな僕は、今日も試みを続けています


今日の(・∀・)イイ!こと
ローソンのおでんのがんもどき?を食べました。ウマイです。
by sannkaku-shikaku | 2007-08-31 23:45 | 未分類
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