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2015/5/9 語学、その"武器"、何がために
※今回の記事は、シリアス・過激な表現を大目に含んでいます。
 特に後半の部分(カチントのマーク以後)でその傾向が顕著になります。
 読まれる際は、何卒ご容赦くださいませ。




留学とか、海外就職とか、英語学習とか
そうした関連のホームページや書籍などを見ていると、時折目にする言葉。

『英語力を武器に』


という表現。
大きな文字で表したこの『武器』という表現が、
どうも引っかかることが、しばしばあるのです。


しばらく、『英語力』『語学力』という所から、
少し離れた話をしたいと思います。

これまで、このブログにおいても、
かつてイギリスのフランシス・ベーコンが残した
『知は力なり』という言葉はあれど
その力を "暴力" にしてはいけない、というのは
何度か言及したことがあります。
しかしながら、実際に僕の経験でも、
自分が特定の分野の知識が周りの人よりあり、
たまたま現時点で、そうした知識が無い回りの人を、
見下したり、希望を奪ったりするような
そんな損な言動をする人たちも、残念ながら多く見てきました。
それは、今の時点では知識が無かったとしても
これから花開く可能性や人生の歓びを、奪い踏みにじるものです。
(そのような言動をしてしまう精神学的な理由も多々あるのですが
 ここではそこでの言及は、割愛させて頂きます。)


10代から20代前半にかけては
僕自身もそうしてしまったこともありました。反省もあります。
根本解決としては、自分がなぜそんな虚しいメンタリティの持ち主となったか、
その根本と向き合い、対決することでした。大体4年前くらいのこと。
今、僕の真実を知りながらも、心からの温かさを注いでくださる友人たちの力を
自然体で大切にしていけるのは、それが大きい気がします。

そんなことを続けた上で、損するのは、
そんな損な言動する人たちだったりする…。
本当、そんなあまり面白くないギャグがぴったりくりレベル。
どれだけ見せかけの社会的成功を収めたとしても、
決して心の底は満たされない人生になるだろう。
ウルグアイの『世界一貧しい大統領』、
ムヒカ大統領の言葉が示唆したことも、その一例か。

そんな貧しい、暴力的な発想から脱却するのは、
ただ心の中で余計なエゴイズムを捨てればいいだけ。
逆にその方が幸せになれるし、すっげーぇ簡単なことなんだけど……。
(もちろん、『衣食足りて礼節を知る』も大切ですが)


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話を英語力・語学力に戻しますと、
僕自身、英語を含む語学には関心がありますし、
それをもとに、世界と、人とつながっていくことは大きな喜びでもあります。
しかし、見たところ特に日本人に、語学コンプレックスがどうも強いのか、
英語に限らず、特定の言語に強い人が、
どうも人を見下すような、そんな言動や態度を取る人もみました。
まさに、知識という名の力が、そして武器が、
人を傷つけ、絶望させ、可能性を虐殺する、『暴力』と化しているような…。
実際僕も、そのような『暴力』に巻き込まれたこともありました。
いきなり小型のサブマシンガンで、ズダダダダダ!!と
至近距離で心臓の辺りを蜂の巣にされて殺されたような感覚。

アスペルガー症候群の僕は、
人の言葉を強く受け止める傾向がある、というのもあるでしょうが
生々しい、『喪失』の感覚でした。
そこから早くレジリエンス(素早く立ち直る)する有効な方法は、
自分自身も真っ当であることを心がけつつ、信頼できる人を見つけ、
その関係を密にし、自分が『喪失』した事実を話すことでした。
実際に、その際に僕の味方をして下さる心が健康な人が多くいたことは
僕にとっては救いであり、感謝すべきことでもありました。


人生の可能性を広げ、人と人との歓び溢れるコミュニケーションを
日本人同士以外でも可能にするための素晴らしい力、語学。
その力を、人を潰し優位に立つための暴力にしてしまうなんて……


一体、何のための『武器』なのか。


自分が優位にたったように感じ、それで他者を圧倒したりして
それで自分の優位性を確認して、仮初の幸せにひたるため?

ふざけんなよ。
何も悪くない人の希望を奪って虐待して脅してぶっ殺して、
一体何が楽しいっちゅうねん013.gif 074.gif 033.gif



特に英語に関して言えば、
日本人全体での英語力の底上げがどうこう、と言いますが、
一部の英語ができる人が、自分がデキる人と思い込み、
選民思想的な考えに染まったりとか。
特に、英語のできる日本人の間ではそういう傾向が見えることもあります。
ネイティブ・スピーカーと遜色のない人ほど、
その傾向も強くなっているような…。

語学力だけでは、あかんやろ。
少なくとも、俺はそんなんいやだわ……。
それって本当に、日本人も日本人以外の人も、
自ら自律的に、大切にできてるの?

英語ができる・できない、による格差社会でも作って、
自分たちだけが(仮初の)幸せを感じられる社会でも作るんか?
誰も幸せにならへん、汚ねぇ争いや足の引っ張り合いだらけの汚ねぇ社会。
そんな社会子供に遺したくねぇって、俺でも思うわ。


こういう人たちが特に罪深いな、と思うのは
語学を頑張っている人のモチベーションを、
かえって奪ったり、ダメにさせたりするような言動を残すことでしょうか。
冒頭で挙げた、『知は力なり』が、暴力になっているパターン。

人を貶めることで自分を相対的に優位にさせることで
自分の自尊感情を(120%誤った方法で)満たそうとする傾向ですかね。
"アダルト・チルドレン"といった心の問題が未解決のままの人たちにも
良くみられる傾向でもあります。
自分で自分を認めていくのではなく、人を利用して自分を認める行為。
でもそれは実は、反則行為。それを知り、避けていけば、道は開けるんだが…。

こんなことは語学に限らず、愚かしい行為であることは事実ですが……
イギリス人=英語のネイティブ・スピーカーであった
フランシス・ベーコン先生も、あの世からそんな光景を見たら、どう思うんやろう。


今の日本社会には、英語力を上げる、以外にも
英語などの語学、いや、その他の知識においても、身に着けることで、
そのような勘違いや傲慢が生まれることも
警鐘を鳴らさないといけないような気もする。
他者を踏みにじり続ける醜い闘いだらけの社会に、本当の幸せは無い。と思う。

人によって英語が苦手な人だっているのは当たり前やん。日本に限らず。
でも英語以外の語学力を延ばせる人だっているし、
語学を超えた能力を高められる人だっているやん。
誰だってそういう能力、一つは持ってるし、
後天的に磨き上げて育てることもできるんや。
そんなんダメにするホロコーストに参加するのは、少なくとも俺は嫌やぞ。



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僕自身、語学と言う分野においても、
そのような希望をホロコースト(大げさかもしれないが)するような人と
残念ながら、出会ってしまったことがあるのも事実です。


最近では、アメリカに合計10年以上住んでいた日本人男性に会いましたが、
この人は何だか、話していて違和感を感じる人でもありました。
インターナショナル・パーティーみたいな場所でお会いしました。
社会的にも割かし成功しているように見えた方なのですが、
でも、所々で語学力以外の自信の無さとかが垣間見えました。

そのためか、僕のことを過大に誉める言葉も時々ありました。
僕のことを、"super-confident"=すごく自信がある、と言ってましたが
それは、僕が色んなカウンセリングなどを受けたり、ご理解を頂いたりして
健全な自尊感情を取り戻した結果です。
僕一人だけの力だなんて過信は、絶対にしてはいけないし、したくありません…

もっと変だな、と思ったのは、
パーティーの帰りがこの男性と二人きりになったのですが
二人きりになっても英語での会話を止めることはありませんでした。
日本語で話しかけても英語で返して来たり、なんだか変な感じ。
心のどこかで怯えていて、心をシャットアウトしているような
そんな部分を感じざるを得ませんでした。
何となく、居心地が悪かったですね。
同じパーティーでは、別の日本人の女性(欧州に15年ほど在住経験あり)と
普通に日本語で会話していたのに…

ニューヨークでも、実はそんな日本人男性と会ったことがありました、
気に入らないことがあると態度を急変させたり、口汚く人を罵ったり、
自分中心な言動が目立ったりして
他の国の方にも呆れられるほど、問題のある人でした。
日本の裏側、ブラジルやアルゼンチンの人たちも、呆れ返っていましたし、
ブラジル人の友人が、彼のしたことについて僕に相談?に来たことも…。


で、すごく誉めてくる人って結構精神的な問題があったりして、
何かあると途端にその人をこき下ろしたり
見下し始めたりすることもあるんですよね。
(⇒境界性パーソナリティ障害、など)

案の定、そのパーティーで会った男性も、後は僕の英語学習方法について
(僕も酔った勢いもあってか、うっかり話したのはマズかった)
口出しをしてくることがあって、その時はなんというか、
自分の自尊感情を満たそうとするための、ドヤ顔全開な感じが出てました。
悪気はないんでしょうが、僕を相対的に下に置くことで
優越感や自尊心を(間違った方法で)得たいというのが、垣間見えました。

僕の語学力が伸びていくことや僕の努力を認めること、に関しての
意識が無い代わりに、自分がドヤ顔したそう、というのか…
顔はそうでもなさそうでしたが、心はそう感じました。
まぁ僕自身も、この男性の承認を求めていたわけではありませんが…
正直、冷や水ぶっかけられるような、萎える言葉でしたね。

『君と会えてよかった』と最後は僕と握手しましたが、
まあ社交辞令だろうな、あまり嬉しくなさそうやな、というのも感じました。
社交辞令とか読み取るのが苦手なハズの、発達障害者の僕でも分かるほどに…
(その代り、発達障害者は芸術的センスが著しく高い人も非常に多く、
 そうした理屈を超えた部分を延ばすと、苦手な部分をカバーできます)


ただこの人は、何とも言えない寂しさ、自信の無さを感じ取れた分、
まだ憐憫を感じ取れる方です。マシな方かもしれません。
もしかしたら、アダルト・チルドレンなどの人間関係的・精神的な
大きな問題が未解決のままなのかもしれません。
その辺りと向き合い、解決していけば
こうした哀しさや空しさが漂うことが、好転していくケースもあります。


もっとひどいケースも、大学3~4回生の時にありました。
(まだ僕がアスペルガーの診断を受けてない頃ですね)
僕のドイツ語の先生だった男性教員は、
細かい間違いが少しでもあれば
できている部分を決して認めたり汲み取ったりもしません。完璧主義?

特に、人が不幸になっているようなニュースなどを話題にして
クスクス、ニタニタ笑うことも多い、人としての感性を疑う人でした。
『大学教員は、研究さえできればいい』そんな考えを持つ人でした。
更に、向こうで会ったドイツ語圏、特にドイツの人たちを
『あいつら』と呼ぶこともありました。
その前の、僕にドイツ語の楽しさを教えて下さった女性教授(日本人)は、
絶対そんなことしなかったんやけどなあ……。
ドイツ人に限らず、外国の人全体を指して『あいつら』とか呼ぶのは
やっぱりイヤだ。。。
(一部のDQNな人らだけを指すなら、まだマシかもしれないが)

この人は、僕のことを言葉で持ち上げながらも
まるでドイツ語が出来なければ人生オワコン、みたいな考えを
さりげなく植え付けて、強迫観念で走らせるような所もありました。
僕が一番苦しんでいる時(=就活で苦労している時)に、
あっさり僕を見捨てる言動をしてきましたが……。

先のアメリカに10年住んでいた男性よりも、
この先生は『自信』の部分は強かったでしょう、
今なら、その『自信』は傲慢と見抜き、
その先生と距離を置くことを、すぐに決断したでしょうけどね。
勉強の上でも、かえって邪魔になる思考回路が多すぎた……。
その先生と距離を置いて数年後、
モチベーションを自然体で与えてくれる友人とも出会えて、



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僕は多少は英語は話せるスキルは見に着いたけど、
(※人や状況によっては話しづらくあったりすることもあるが、
  これは発達障害の特性もあり、日本語でも同様の時はある)
だからこそ、今は仮に話せない、少し不得手を感じる人であっても
その人たちが希望に向けて歩けるような人でありたい。
実際、英語を少し学習し始めた日本の方と、外国の方を交えて
ゆったりと会話をできることは、僕にとっても大きな喜びだった。
語学を勉強することも確かに大切なことなんだけど
英語が堪能ならいいってもんじゃない……。


これは逆に、外国の方で、英語は堪能だけど日本で日本語も勉強したい、
と思っている方々に対してもそう。
語学とか知識とか言う以前の、心理学的な問題だったり倫理的な問題だったり
そこの所で偏ったり歪んだ認識を持ってしまうのは
人間、無意識のうちにそうなることもある、というのを理解した上で
そうなってしまわないようほどほどに注意したり、人とつながったり、
時には助けを求めることも大切だ。


先の文章では悪い事を主に書きましたが、
良い事もたくさんあったのは事実です。
それは、僕を前に動かしてくださる希望のエネルギー源。


去年パリから帰る時に乗ったエールフランスの
僕の簡単なフランス語でも褒めて下さった
『是非このまま勉強を!』と応援もしてくれた
フランス人男性のキャビンアテンダントさん、

ミラノで、僕が『Mi scusi!(=すみません)』と言った時、
『おお、イタリア語の発音すごくうまいなぁ!』と喜んでくれたホテルの人、

今もSNS等で関わりを持たせて下さっている、語学学校の先生たち……

現実と向き合いながらも、その人たちは、
ここまで書いてきたような、未来の希望を奪ったり、萎れさせたり
『人を傷つけたりするための"武器"』にすることは、
絶対にしなかったし言わなかった。
俺のまだまだつたない語学力を嗤ったりも、絶対にしなかった。


過去と他人は変えられないが、
未来と自分は変えられる……ってね。
外見や血筋は変えられなくても
知識や思想は変えられる、ってのもあったなあ。


語学より大切なモノは、この世にゴマンとある。
語学力を、人を破壊する力にしないために、大切なコトが。

特に語学に注力してきて、そこそこ理解がある人ほど、
英語力よりも気づくべきそうしたものが無いといけない。
『大いなる力には、大いなる責任が伴う』って言葉もある。
『ノブレス・オブリージュ』というフランスのエスプリが生んだ言葉もある。
その辺分かっておかないと、マジで危ない。
安全装置の無い工業機械のようなものか。


少なくとも俺はもう、力が、"武器"が、得られるのなら、誤りたくない。
哀しいかな、"武器"に溺れた人たちを直接変えることは難しい。
だがそれでも、俺は俺を、"武器"に溺れない人間にすることはできる。

でも、俺たちに"武器"を向けるっていうのなら…
俺も心の中で、境界線を守るための武器をとるだろう。
かつてナチスの侵略に対し、武器を取り立ち上がった
フランスの人たちのように。



俺たちの自由と繁栄への道のりは、続いている。



今日の(・∀・)イイ!こと
美味しいお寿司、おいしい大トロが2貫も食べれたこと。ご馳走様でした。

by sannkaku-shikaku | 2015-05-09 18:02 | 葛藤
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