人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2015/3/11 進んでしまった、のか?それでも……
東日本大震災から、4年。
自分にとっても、人生の一大転機となる出来事の
遠因となることが多く起こった出来事でした。

ただ、僕におこった転機は実際に被災された方とは違い、
結果的に『良い方向に』行くことが多かった転機でした。
PTSDやうつ病、他にも経済難や風評被害など、
そうした理不尽すぎることとは、あまりにも違うことです。
人には幸せになる権利がある、と言いますし、僕もその例外では無いとはいえ
正直、これには複雑な気持ちもあります。


今、震災に関連したストレス病気になったり、経済難になったり等でしょうか…
ともすれば自殺された方など、震災に関連したことが遠因で亡くなった
『震災関連死』の方々は2000人以上に上るとニュースで知り、衝撃を受けました。
これほど長きにわたって、暗い影が残るものなのですね……。
どうすれば、癒すことができるのだろう。

※ちなみに、癒すこと=忘れること、ではありません。
 当事者の皆様は、忘れたくても忘れられないから、辛いのです。
 むしろ、あのような体験をして忘れろ、というのは
 震災を直に経験していない、大阪の人間の僕でも想像がつくことです。
 無理に忘れさせることは、余計に精神的な病を悪化させることの方が多いのです。


PTSD、うつ病などについても、4年前に比べて少しは知識が増えましたが、
人の命を奪い、たとえ生きていても人生の質を低下させ、『生殺し』にすらしうる
そんな心の病の恐ろしさが見えるような気がします…。


そんな僕も、この3.11の有った日は、色んな経験をしているものですね…。
2012年、名古屋から来たスカイさんと大阪で会い、色々案内させて頂く。
通天閣、IKEA(※当時名古屋にIKEAが無かった)、道頓堀、オタ臭くないメイド喫茶に行き
手羽先味のプリッツも頂いて、結構楽しい思い出。
日本橋の電気街で、震災1年の号外が配られていた。

2013年、今の会社に障害者雇用で入ってまだ間もない頃。
一番忙しい時期&まだ有休がとれない&
就職前から抱えていた様々な問題がPTSDの如く残ったり、入社後のことが心労となり
胃液が逆流したことが2回あった。
この3.11の日は朝礼で黙祷を捧げた。
この年、給料の一部を義捐金に回すことができた。

2014年、寝る前に、黙祷を捧げてから寝る。
それから4か月半後の7月、初めて東北を訪れる(peachのお陰…)。
仙台を観光した後に、自転車で荒浜地区へ行く。
その翌日に、石巻、女川 の傷跡をこの目で見ることに。
女川の連絡バスの運転手さんが本当に優しくて、今でもはっきり覚えている。
自分が大阪から来たことを話したら、本当に喜んで下さった。

石巻ではあいにくの雨で、港湾の方へは行けなかったが、
復興商店街では、石巻の地で生きる人の淡々としつつもリアルなお話を伺うことができた。
東北の人は優しさからか、僕ら大阪の人間ほど怒りをあらわにしない。
逆にその怒りは、哀しみへと向かわないかが、心配であった。

仙台に戻り、この機にご縁を回復させたいお知り合いと会う。
仙台が地元の方もいらして、石巻の地酒・日高見を薦めてくださったり。
その方は、子供の頃は荒浜へ海水浴へよく行ったと仰っていて、
震災が起きてから行くのが怖くなって、行っていないという話が記憶に残っている。


2011年、実際に震災起こった日には、
最後にロシアが救援を宣言した時と、自分が考えたロシアの思惑という
なんともドライで政治的なことを書いておる。偏ってるのぅ。。。

でもその後、何か自分にできることは無いのか?と思い、
へたに手を出して失敗するより『やらない勇気』を持つことも
街中に立つエセ義捐金集めらしいの男女共を無視する冷徹さを持つことも
意識していたあの日の頃。
これは確実にできる事かつ、社会的モラルや倫理に反していないだろうかと
自分なりに考えて行ったのが、献血だった。

海外にいる友人たちも多く心配してくれて、
特にロシア人の友人は、かつて隣国・ウクライナでチェルノブイリがあったからか、
放射能のことをとても心配していた。


……以上、僕の中での3.11にまつわる悲喜こもごもでした。
去年は確か、三陸鉄道が南北とも完全開通になったのでしたっけ?
今年の被災地は、秋から女川駅が再稼働したり
ハード面における復興の足音がまだ聞こえてくるようです。
(さんま祭り、行ってみたいんだよなあ。
 現地でお金を使うことも、下手に義捐金やるより効果的かも)

自分においては、なんだかあっという間に日常が過ぎ去っており、
まるで地震のことが無いような感じだな…と思ってしまうことがあります。
その裏で、実際にあの生々しい体験をされた方々は
今頃どのような気持ちになっているのだろうか。。。とも、頭をよぎりました。
デパ地下のスイーツ売り場で、ホワイトデーのセールをやっているのがウソのようです。

とはいえ、震災直後もまるでお通夜が連日続いたかのようにしょげかえってしまって
このままでは余計に日本の元気がなくなる、東北の人のことを本当に思うなら
元気出せるところから出していかないといけないでしょ、とも言えます。
デパ地下の賑わいも、ある意味では正常に日本が動いている証拠か。

因みに、今日から阪急百貨店・うめだ店では『フランスフェア』ですが、
そのフランスでは今年最初、イスラム過激派による忌まわしい事件が起きました。
その時に、昨年フランスに戻った友人が言っていたのが
『日々の生活をきちんと生きる、それが私たちの闘いよ』
ということでした。

今できることをやりつつ、たとえ時々でも、
被災地の方々に思いを馳せることが、僕らにできることかもしれません。
そこから派生する形になるかもしれませんが、
阪神淡路、新潟、世界(の地震)に目を向ければ
スマトラ、トルコ、四川、NZ……のことも考えるきっかけにもなりそうです。


ただ、このブログを読み返してみると、確かに地震があったことが
改めて肌身で分かる気がしますね。
記録をつけることも大切さを感じた気がします。


今日の(・∀・)イイ!こと
大阪市内で良さそうな肉食系の店を見つけられたこと

by sannkaku-shikaku | 2015-03-12 00:25
<< 2015/3/12 デジタル時... 2015/3/10 二重に笑い... >>