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2010/10/19 心のシャットアウト、その弊害
僕はかれこれ3年半弱ブログを書き続けてきていますが
それでも人様に誤解を与えて、相手を不愉快にさせてしまうようなことを
間違えて書いてしまったことがありました…。
これは、mixiのつぶやきでも、Twitterでも
Facebookでも、オンラインゲームでも同じことです。

その際には、誤解を与えてしまったことを当然まず謝罪し
何とか話し合いで解決しようと試みます。しかし…

この誤解のあった相手の反応というものに
僕はこれまでに数回、いくらなんでもいかがなものか、と思ったことがあります。

それは、僕の誤解に対して反論する過程において、ただの反論にとどまらず
僕に対してそれまでに思っていたイヤなことを吐き出すこと。
『俺は前々からてめえが気に入らなかったんだよ!』という感情を
どさくさにまぎれて投げかけてくるような感じでしょうか…。

僕は、その人のことを友人として信じていたわけですが
まるで『俺は前々からてめえが気に入らなかったんだよ!!』
『何をいまさら言ってやがる。俺はとっくに…』と
以前までの味方が武器を振りかざして襲い掛かってくるように
まるで何かのマンガの敵役のごとく言葉をぶつけてきます…。
僕が真に伝えたいこと、誤解の要因と思われることを訂正して伝えるにしても
一切耳を貸さず、その時に憎しみのナイフを投げつけられたような…。

実際、ぶつけられての感想を表してみると、こうなるでしょうか。
僕:『え、あなたは前にこのことについて別に反対してなかったじゃないか…』
僕:『じゃああなたは、それだけ僕に不信感を持って、友達の「ふり」してたわけか。
   こんな僕みたいな人間のためにか?』

ただ、そのような言葉をぶつけられるということは
それまでの僕の身の振り方にも問題があったということでしょう。
これはこれで、僕自身は反省しなくてはなりません…。

しかし、ならば何故それをもっと早く、
それらを『怒り』という感情に乗せることなく言えなかったのか?
そもそも、なぜ僕に思うところができた時に
正直に『私はこう思う』とか『君のここは用心されたし』と言わなかったのか。
…という素朴な疑問が浮かんできます。
これはもしかしたら、僕の甘えや我がままかもしれませんが。


『処罰は過去ではなく未来を見据えたものでなければならない。』
『怒れる者からは、気品がことごとく失われる。たとえ装いを美しく整えていても
 服を引っ張り、いっさいの身だしなみを捨てることになる。』
 (古代ローマの哲学者・セネカ)


デジタル空間でのコミュニケーションは、双方向性のものと言われます、が
ひとたび片方が怒り、その双方性をシャットアウトして相手に構わなくなると
それはたちまち一方通行のものとなります。
話し合いをしようにも出来ず、関係修復には非常に困難になります。
ある意味では『話し合い』を放棄して、一方的に『戦争』を仕掛けているようなもの…。
それまで、建設的に出せばよかった疑問点は
処理しきれていなかった憎しみや不信と結びつき、言葉のミサイルに変わる。

歴史的な事件を例に出せば、
二・二六事件で『話せばわかる!』と主張した犬養毅首相を
『問答無用!』と撃ち殺し、日本社会に混乱をもたらした青年将校たちや
何かを言いがかりにして、隣国に戦争を仕掛けにいった
一部の歴史上の君主たちと、彼らとのベクトルは同じなのかもしれません。

その人たちに不愉快な気持ちをさせた時点で終わり、というよりも
話し合いで解決できそうことはたくさんあるのに
その人たちと、話し合いもできずに、半ば一方的にシャットアウトされ
淘汰されていくのは、実際のところ、無念な感情でございます。
(この辺が、甘えや我がままなのかな)

僕も子供のころは、しばしば怒りや憎しみをぶつける側でしたが
大人になってからは、まだ人様に対してこのようなことがないのは
自分にとっては救いかもしれません。

♪「そこで泣いているのは自殺した 少女の幽霊で私と同じ顔なのよ…」
 (Janne Da Arc 『ファントム』)

それを言う人たちも、一人の人として、僕も敬意を持っていた人でした。
願わくば、元通りの関係に修復されてほしい、と願っています。
私とのいざこざがあったにしても、彼らの魅力は変わらないでしょう。
…だからこそ、話し合い一つできなくなる、彼らの『怒り』が惜しいと感じます。
建設的な部分が無くなってしまうのは、悲しい・・・。


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by sannkaku-shikaku | 2010-10-20 00:10
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